710年、奈良の都、平城京が生まれた。京都に都が移されるまで、わずか70年という短い歴史は、奈良特有の伝統を生むことになる。東大寺、興福寺などなど、大きな寺が短い歴史の中に閉じ込められ、変化していく時間を与えなかった。奈良はそのまま社寺の町として歩み、それは飾り銅細工、建築銅金物などの個性ともなっていった。
 
200年以上の技術を引き継ぐ、四代目銅金物師。  

「現代の名工」銅金物師四代目
岡本順平氏

広々とした景色の中の道を行く。のどかである。ここ奈良県葛城郡広陵町百済に、岡本順平氏の仕事場がある。「家業の建築飾り業を昭和25年に三代目から引き継ぎました。」岡本氏は現在71歳、四代目である。「16歳からやっています。初代から数えて200年以上になりますかね。初代は鋳掛け屋をやっていたらしい・・・・鍋やヤカンの修理ですね。」資料として保管されているケースの中に、当時の古びた銅器が修理の跡もそのままに残っている。「江戸末期のものです」当時の生活が見える貴重な文化資料である。
 
日本建築の歴史を彩る装飾品、飾り銅金物。
「昔から人が多く集まる場所や威厳を大切にする場所にとって、荘厳なイメージは欠かせないものでした。社寺はその典型で、建物を美しく飾るために飾り銅金物が使われています。よく見る場所としては、屋根の下に組む [ 垂木 ] という支えの木の先を装飾した銅細工があります。大きな柱に付けたり、小さなものでは、釘を隠す釘隠しなどにも飾り銅金物は使われていますよ」飾り銅金物の歴史について「現存する最古の日本建築と言われる法隆寺からのものですから、歴史としては相当なものでしょう」
 

現代の名工に任命され、黄綬褒章を受章。
[ 大和式銅あんこう ] [ 後継者育成 ] の評価。

岡本氏の銅金物に対する研究は [ 大和式銅あんこう ] というアイデアを生んだ。銅あんこうとは、建物の軒先の雨どいの両端に付いている雨を受ける桶のことで、呼び樋ともいう。岡本氏が開発した大和式銅あんこうは「銅あんこうを作る時、今までは銅の底板と横板の接合部を全てハンダだけに頼って止めていたのですが、これだとハンダが外れると雨水が漏れます。そこで、底板と横板を組み合わせるように細工をし、要所だけをハンダ付けにする・・・ハンダに頼らないだけに水漏れはなくなります」その様式は、飛鳥時代の法隆寺や飛鳥寺などの建築様式に合わせたものであり、大胆で優麗、美しい模様が流れるように細工されている。「社寺はもちろん、一般の人の日本建築にも使っていただいています」伝統が新しい時代の名のもとに伝統もどき、となる物が多い中、岡本氏は銅あんこうという昔からの日本建築における機能と美をそのままに、より優れたものに変化させた。守り継ぐ本物の匠の力とは、こういうものであろう。岡本氏の作る大和式銅あんこうの堅牢性と芸術性は多くの人が興味を持つ。「全国から施工や修理の依頼がたくさんきています」当然であろう。
岡本氏は「母子家庭で苦労している子供達や、いわゆる問題児達に手に職をつけさせることで子供達が抱える問題を解決しようと思いました。昭和59年に奈良県知事認定の訓練校アーチストスクールを、会社の敷地内に作り開校しました」多くの効果を上げたが「今は募集していません。人が集まらないのは時代でしょうか。でもスクールは月曜と金曜の2日、一般の方に開放し銅板工芸や銅細工作りを楽しんでもらってます」岡本氏はそれでも子供達のことは忘れてはいない。「小学6年生と中学生の学校で銅板教室をやっています。これは、奈良県のジュニアマイスター制度の一環で、物作りに興味を持ってもらうことを目的としたものです。子供達は夢中ですよ。やはり物を作ることって好きなのでしょうね」岡本氏はうれしそうに語る。
岡本氏の [ 大和式銅あんこう ] を初めとするさまざまな技能は、特許、実用新案、発明として数百にも及ぶ。それらは、科学技術長官賞、奈良県知事卓越技能者表彰など、その他にも多数表彰されている。特に [ 大和式銅あんこう ] に対する技能と、物作りの後継者を育成の功績が認められ、平成8年、労働大臣卓越技能章を授与し「現代の名工」に認定された。そして平成11年、黄綬褒章を賜った。

 
堅牢華麗な大和式あんこう
 
 
 
 
 
 
平成11年に賜った黄綬褒章
 
歴史建築物を保存する。再生する。  
修復前の奈良興福寺の路盤宝珠
修復、復元した奈良興福寺の路盤宝珠の火焔
修復現場で作業する岡本順平氏
 

奈良興福寺・南円堂の修復に携わった一人に岡本氏がいる。路盤宝珠の修理と施工を担当した。宝珠とは仏教で宝物とする玉、の意味を持つ銅製の立体物であり、路盤と言う台が付いている。「南円堂の路盤宝珠は、宝珠頭の上から左右に炎を彫刻した火焔の装飾が付いています。屋上に鎮座していることもあって、この火焔が長い年月や台風などで特に損傷を受けていたのです。解体して分かったことですが、江戸時代に一度修理した跡がありましたね。壊れた部分を修復し、復元したものは昔の色と調子を合わせるため、緑青液で緑青発色させました」こうして興福寺南円堂の路盤宝珠は蘇った。岡本氏はこの他、春日大社の中門桶補修、法起寺路盤宝珠修復、京都西本願寺錦華殿桶復元など、代表的な修復、復元、施工は多い。歴史建築物の保存、再生も岡本氏の重要な仕事である。

また、毎年3月の1日から14日間、奈良の東大寺二月堂でお水取りの行事が行われる。その際、僧侶達が取っ手のついた器に炭をいれ運ぶ姿をテレビでも多くの人が見る。その器、岡本氏が作った銅器である。

 
銅金物をワラの火で焼く。
「これを見て下さい。いい色具合でしょう」岡本氏が差し出した長い半円の銅には、濃淡の独特な模様が浮かび上がっている。「雨どいです。この模様はワラの火で焼いた時に出来るもので、この手法の雨どいは、京都の大山崎山荘美術館の修復に使いました。洋館ですが旧館が持つ雰囲気に馴染むように、あえて古めかしくするためこの方法を採用したのです」その模様は、まるで備前焼のように渋く侘びの美しさである。「普通、きれいな青さびが出るには15年ほど掛かりますが、これだと、3年ほどで青さびが出てきます。最近では数寄屋造りの民家から、この雨どいの依頼も多いですよ」岡本氏の名工の技は広がっていく。  



 

備前焼の模様に似た吊り灯籠

 

一定した音のリズムは、技術の証である。

「私は隠居部屋と言っていますが、なかなか楽をさせてはくれませんね」笑いながら岡本氏は、作業部屋に案内してくれた。壁にはさまざまの道具が掛けられている。「作る物に道具を合わせるわけですから、自分で作らなければなりません。今では100種類ほどあります」限られた道具では岡本氏の多彩で複雑な銅金物は作れない。作業を見せてもらう。銅板にゲージと呼ばれる紙の型を当て、キリ状の道具でふち取りの線を引いていく。その中を大きさの異なる鉄のタガネを木槌で打ち模様を作っていく。カンカンと一定したリズムの音が響く。次々と模様が浮かび上がってくる。「この音のリズムが狂うと思った通りの装飾には仕上がりません。打ち込むリズムは一定ですが、強弱も必要です。前にタガネを移動させながら打つのは押しタガネ、手前に引きながら打つのは引きタガネといいます。この連続を繰り返し模様を作っていくわけですが、その時タガネの上と木槌を見ていたのでは、うまくいきません。打ちながらタガネの先を見てどんな形になっているかを確認しながら打つことが大切です」優美な銅金物はこうして作られる。

岡本氏の効き手は左である。「でも、修復や施工の時、右手を奥の方に差し入れることもあるので右手も使えるようにしました。これを見てください」右手で使う挟みである。両手で大きな挟みを持ち「私はカニさんですわ」と笑う。明るい名工でもある。
 
制作中の岡本順平氏
 

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ヨーロッパからの引き合いにも興味を持つ五代目。
長男、岡本禎次氏。

銅金物の良さを建築だけではなく、一般の人にも楽しんでもらおうと、平成16年に銅工芸品を製造販売する [ 銅楽堂 ] を設立した。主にインターネットによる販売である。担当は岡本順平氏の長男、五代目を継ぐ岡本禎次氏(38歳)である。「私の技術は父の足元にも及びません。タガネと木槌の扱いもまだまだです。これを見てください」左の親指に傷あとがある。「木槌で打ったもので情けないですよ」隣で師匠である父の顔が満面の笑みをうかべている。
[ 銅楽堂 ] では、吊り灯籠、花器、茶器、バケツ、インテリアスタンドランプなど、その他さまざまな銅工芸品があるが、最近では「ヨーロッパからの引き合いもあります。ガーデニング用品として興味があるようです。ヨーロッパも日本も歴史と伝統があると言うことでは同じですから、共通する何かがあると思います」と禎次氏は語る。ヨーロッパの家庭で、日本の銅工芸品が多く見られる日も、そう遠くはない。

禎次氏は、偉大な四代目である父、現代の名工の後を継ぐ五代目として伝統の技の精進を怠ることなく、新しい銅金物の世界にも眼を向けている。
銅楽堂の銅工芸品については、こちらを。
http://www.dourakudou.com/

取材に訪れたのは、深まり行く秋の日。それぞれの民家の庭には柿がたわわに実っている。“柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”錦秋の大和路に、歴史と伝統の陽が深く静かに輝く。
 
銅金物師五代目 長男 岡本貞次氏
 
 

銅楽堂が製造販売する銅製品

 
 
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