特集

門司工場の歴史と現在

門司工場の誕生

非鉄金属材料の需要に応えるために


新設当時の門司工場
  神戸製鋼門司工場(当時は門司伸銅工場)は今から100年前の1917(大正6)年、第1次世界大戦の最中に、現在のJR鹿児島本線小森江駅近くの広大な敷地に建設された。神戸製鋼の歴史は、1905(明治38)年に総合商社の鈴木商店が神戸にあった小林製鋼所を買収したことに始まるが、設立して10年足らずの神戸製鋼にとって門司工場は最初の分工場であった。神戸製鋼が門司小森江に工場を設立することになった背景には、国際港となりつつある門司港で、船舶や艦船のボイラーに使用される銅管や真鍮管など非鉄金属材料の大量な需要が見込まれたことがあった。また前年の1916(大正5年)に、鈴木商店が銅を生産する精錬所を門司に開設していたことも影響していた。

門司伸銅工場の操業


大正10年ころの復水管製造風景
  神戸製鋼は小森江に約1万坪(3.3h)の土地を購入し、門司工場の建設に着手した。第1期工事として1917(大正6)年12月に溶解工場、管棒工場、特殊鋼工場を完成させ、翌年12月には銅、黄銅の板生産設備を完成させた。こうして門司工場は伸銅工場としての体制が整えられ、その後100年続く軽合金伸銅事業の礎を築いていった。

新合金「アルミブラス」の開発

創業当時の重要な合金に、蒸気タービンの復水管の材料となった「アドミラリティブラス」という、銅、亜鉛、錫からなる合金がある。加工が難しかったために、大正時代の初期まではすべて外国製品に頼っていたが、門司工場はそれを独自の製造・加工技術によって、完全国産化に成功したのである。国産品、海外品を問わず「アドミラリティブラス」は復水管によく使われていたが、1928(昭和3)年、駆逐艦の試運転中に復水管にトラブルが発生し運転不能に陥ってしまう。門司工場は「アドミラリティブラス」に換わる新たな合金開発に着手することになった。こうして誕生したのが、1934(昭和9)年に完成した「アルミブラス」である。銅、亜鉛、アルミニウムを主成分として、これにニッケル等を加えた「アルミブラス」は、その後多くの復水管に使われるようになった。1937(昭和12)年に門司工場が海軍直営軍需工場の指定を受けると需要はさらに拡大していった。

マグネシウム鋳物の実用化


建設当時の名古屋工場 (1937年)


建設当時の長府工場 (1939年)

  1928(昭和3)年、門司工場はマグネシウム合金鋳物の製作に着手した。当時は航空機製造に関する多くの技術開発がすすめられていたが、機体を軽量化するためには、アルミよりも軽くて強いマグネシウム合金鋳物の実用化が不可欠とされていた。門司工場では構内に試作工場を作って開発に取り組んだ。陸軍の科学研究所のマグネシウム鋳物製造技術を継承したことで研究は加速し、1931(昭和6)年、日本初のマグネシウム合金鋳物の実用化に成功したのである。この1931年以降、門司工場の生産量は他の軽金属とともに急上昇した。これは、1932(昭和7年)に起きた満州事変を契機とした航空機生産量の急増も影響していた。やがて門司工場のマグネシウム鋳物生産部門だけでは拡大する需要に追いつくことが困難となり、1937(昭和12)年、新工場を名古屋に建設することになった。現在の大安工場の前身である。また、日中戦争の勃発によりアルミ製品の大増産が求められ、1939年、山口県長府に新工場を着工することになった。こうして門司工場の多くの技術は、新しく建築された工場に受け継がれていくことになるのである。
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